今回は歴史の話になりますので、興味ない方はスルーしていただければと思います。
東京に住んでいるときに福島出身の方と鹿児島出身の方は仲が悪いなと感じたことがありました。それは性格の違い、価値観の相違など人と人なのでいろいろあると思いますが、ちょっと歴史も関係しているのではないかと感じたことがありました。悪い例ですみません。
中川果樹園では数年前から加工品に力を入れていまして、自社のホームページだけではなくいろんな取引先にも商品を扱ってもらえるように商談会に参加しています。
その商談会で全国の方と名刺交換したりして、多くの方たちと知り合うことができるようになりました。そこである地域の方と知り合うことができました。それは
宮﨑県児湯郡高鍋町
この地名を聞いてピンとくる方はなかなかいないと思います。反応するのは山形の方or歴史上の偉人オタクぐらいではないでしょうか?
高鍋町の方すみませんm(__)m
高鍋町というのが非常に山形と縁のあるところなのです。
江戸時代に高鍋藩主の次男が米沢藩主の養子に来てくれました。その方が
上杉鷹山
になります。後に米沢藩9代藩主になり、人生をかけて藩政を立て直すことに非常に尽力してくれました。
ケネディ大統領も日本で最も尊敬する人として”上杉鷹山”をあげるくらいです。詳しくは上杉鷹山で調べていただければありがたいです。
https://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_izin/yamagata/
戦国最強であった上杉謙信のころは100万石を超える領地がありましたが、関ヶ原のときに石田三成側についたことにより30万石に減らされてしまいました。そのときのお抱えの武士はそのまま何代にもわたり続けてしまったので、借金が膨れ上がり日本一貧しい藩になってしまいました。
それを立て直したのが上杉鷹山なのです。
山形県民は鷹山公に対して、今でも畏敬の念をもっておりあのとき居なかったら、領地を幕府に献上して藩が取り潰しになっていたかもしれません。
私自身も尊敬する人として上杉鷹山を上げています。
昨年から高鍋町の企業と取引できるようになり非常に感慨深いです。またさらに社長が山形県出身の方。だからこそうちのブースに来てくれたのだと思います。この関係は今後も大事にしていきたいないと思います。
そのときも思わず”ありがとうございます”と言ってしまいました。高鍋の方に対して感謝の思いが溢れ出てしまうようです。
今まで高鍋町と山形の縁を話してきました。今回初めて直接的につながりが持てましたが、初めてじゃないような気がして250年前から続くつながりは今の時代においても非常に深く関わってることを感じます。
歴史が私に影響していることを感じた出来事でした。
園主 顕太朗







