こどもと一緒に久しぶりにお出かけをしてきました。ここから見る景色はとても感慨深いものがありました。ここからはちょっと面倒話になりますので。
地元寒河江市は歴史的に非常に重要な土地があることを建造物や史実から伺い知ることができます。私の住んでいる”六供町(ろっくまち)”という地名も八幡神社に六つの供物をおそなえしたことからきたと言われています。六供町に住んでいる人たちは何代も渡ってずっと住み続けている人が多いです。うちの中川家も私で十一代目になります。
江戸時代末期の地図を見ても、私の住んでいる界隈は大きく変わっていないことがわかります。その地図は今度お見せするとしまして。
そんな寒河江の中でも重要な地域に”慈恩寺”というお寺があります。奈良時代に建立して、江戸時代には東北随一のお寺として、名を馳せました。
長くなりましたが、ここの展望台に行ってきました。
寒河江の街中が一望できるところです。天気が良ければ、村山盆地が見渡せるとてもいい場所です。私の家は写真のちょうど真ん中あたりになります。
そこで感じるのは、とても小さいことに一喜一憂していたことに気づかされました。さくらんぼの出来具合に右往左往しながら、目の前のことしか見えていなかったんだなと思います。
時代の流れや、天候の影響に対応するのに必死で、大きな視点を持つことが欠けていることが分かりました。
慈恩寺は創建されて1300年程経ちます。その中で私がどう歴史を受け継いで、将来へ何を残していくのかを考えなければならないです。農家としてだけではなく、一個人として。
壮大な景色を見ながら、蟻の目ではなく鷹の目を持つ重要さに気づかせてくれました。
園主 顕太朗